- 2011年12月28日 9:48 PM
- その他
「絆」って何やろう。
この言葉の使われ方から考えてみるに、「人と人の気持ちを結ぶエネルギーのコード」の意味で使われているように思う。「気」の「綱」くらいが語源なのかなと思い、もともとの意味を調べてみた。
調べてみると、あー、無知だった。「牛馬などをつないでおく綱」から来ているらしい。「ほだ」すとも読まれ、「情に絆(ほだ)されて」などと使われる。つまり、つなぎとめて、自由に行動することを束縛するような意味合いを本来はもっている。
うーん、考えさせられる。今は絆の半面だけがクローズアップされてるかもなと思う。
困難なときに一人ではないと実感できることは困難を乗り越えていくうえで大きな支えになる。日本人が困難なときにも人のことを我がことのように思い助け合うことができるのは、絆を結ぶ力を本来的にもっているからだろう。
日本の歴史を振り返ると、たとえば戦時下の日本や高度成長期の日本でも、この絆を結ぶ力がいい意味でも悪い意味でも重要な役割を果たしてきたと言えるんじゃないだろうか。
それは故河合隼雄先生がおっしゃっていた「場の倫理」に由来するもののように思われる。河合隼雄先生は日本人が場の倫理に従って行動する傾向があることを深層心理学の視点から解釈し、一般の人にも理解可能な形で示された。場の倫理とは、世間の規範にあうように、いかに場の平衡状態を維持するかにもっとも高い倫理性が与えられる母性原理に基づく倫理だ。

絆が人と人を結ぶエネルギーのコードだとすると、それには2つあると思う。
意識的な選択を通して能動的に結ばれるものと、半ば無意識的にもともとの意味のように受動的につながれるものと。意識的なネットワークにもなりうるし、無意識的なしがらみにもなりうる。無意識的になればそのつながりにない者を抹殺する力にもなりうる。
その辺のことを、わたしたち日本人は今問われているように思われてならない。周りとのつながり、今までの流れ、受け売りの情報など、半ば無意識的な選択でつながる前に、一人一人が意識的に直面することを求められている。
もっと言えば孤独(孤立ではない)に耐える力。自分の責任で直面する力が試されているように思う。
自分が多くの人や存在に支えられてはじめて存在しうることが現実であるのと同じように、どんなにつながっても人が孤独であるということも、また現実だ。
今日本人が問われているのは、本来的にもっている絆を結ぶ力よりも、問題に自分で直面して答えを出すために必要な孤独に耐える父性的な力ではないかと思う。
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