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プラクティショナーのアーカイブ

「内なる癒し手」が目覚めるための枠組み

ヒーリングやフラワーエッセンス療法のセッションの目的は、

受け手の方の「内なる癒し手」が目覚めるのを手助けすることです。

 

どんな治療も、療法も、この内なる癒し手、

-自然治癒力ともいえるのですが-、が仕事をしてくれないと、

何もできないわけです。

 

そのために、ヒーラーやプラクティショナーは受け手の人と協力して、

受け手の人が向き合おうとするテーマに向き合うことを手助けします。

 

それを行うには安全な器(枠)が必要です。

日常的な人間関係や利害関係を超えた安全な場が必要となります。

それによって初めてヒーラー/プラクティショナーは

クライエントの安全と利益を最優先し、

ヒーラー/プラクティショナーの役割に徹することができます。

 

フラワーエッセンスのプラクティショナーやヒーラーが

この枠組みの役割と、

ヒーラー/プラクティショナーと受け手(クライエント)の関係に起こってくることについて

掘り下げて考えてみることは、大きな意味があると思います。

ということで、次回のスカイプ講座はこのテーマです。

【フラワーエッセンス療法家/ヒーラーのためのスカイプ講座「転移・逆転移」】
(全3回:1月24日(火)、1月31日(火)、2月7日(火)・夜9時~10時)

 

 

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チャクラに問題、と言われても…

たとえば、ヒーリングセッションに来られて「以前ヒーラーから何々チャクラに問題があると言われたんですけど・・・」と言われる人がいる。

その人はずっとそれが気になっているようなのだが、話を聞いてみるとその指摘がその人にとって役立っているとは思えない。それどころか、エネルギー的に張り付いて消えなくなっている。ヒーラーの意図は別のところにあったかもしれないが、その人にとってはその言葉だけが消えないような感じだ。

チャクラに問題・・・と言われて、それを取り組みの助けに出来る人は少ないと思う。クライアントが取り組む助けになればチャクラを持ち出す意味もあると思うが、ないならわざわざ持ち出す必要はない。クライアントが体感的に十分理解できるなら別だが、そうでないなら持ち出さない方がいい場合の方が多いと、私自身失敗からそう思う。

私たちには、エネルギー関連の専門語をクライアントに使うとき、その意図を吟味してみる必要があると思うがどうだろうか。その背後に隠れている自分の影と出会って、はっとさせられることは少なくない。

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また、このこととは別に、ヒーラーが自分の言葉に注意しなくてはいけない理由がある。

私が受けたトレーニングでは、ヒーリング後の「言葉」にはくれぐれも注意しなければならないと教えられた。通常はヒーリング直後はほとんど何も話さないで帰ってもらうのがよい。

その理由の一つはこうだ。クライアントには通常陽性転移が起こっている。それだけでもヒーラーの言葉の影響力は通常とは違ってくるが、その上ヒーリングによってDCシフトが起こる。DCシフトはヒーリングによってクライアントのオーラフィールドが広がりオープンになった状態で、通常2日間続く。そこで発せられたヒーラーの言葉はクライアントのエネルギーの中に深く刻み込まれる。そのようにして刻み込まれたエネルギーの貼り付けをはずすには、理論上刻まれたときと同じだけのエネルギーが必要になる。つまり、何もしなければずっとクライアントのエネルギーに残る。

だから、ヒーリング後の「言葉」には十分注意しなくてはいけない。しかし、それはことのほか難しい。このことを理解したからといって、それだけで言葉を制御できるほど、セッションの中に展開される関係性のエネルギーは甘くない。無意識的に自分自身をヒーラーに定義してほしくて訪れる人もいるのだから、そういう転移/逆転移は常に起こっている。1回1回が勝負なのだ。

これは他人事ではなく、私自身、・・・しまった、この言葉はクライアントにとってどうだっただろうか・・・と反省することが何度もある。



 

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フラワーエッセンス療法と転移/逆転移

フラワーエッセンス療法が人のこころに向き合う仕事で、クライアントとの関係性が重要な役割を果たす以上、転移/逆転移への取り組みは避けて通れない。

『岩波現代文庫<心理療法>コレクション河合隼雄Ⅵ-心理療法入門』の中に、「心理療法における転移/逆転移」という章がある。転移という現象がどのようにして発見され、その理解や捉え方がどのように変わってきたかについても述べられている。

第6章 心理療法における転移/逆転移
1 転移/逆転移の相互性
・転移の発見
・逆転移の意味
2 転移/逆転移に伴う困難さ
・転移/逆転移の程度
・エロス
・陰性転移
3 転移/逆転移の深さ
転移の強さと深さ
精神病圏のクライアント

ということで、転移/逆転移について知るにはおすすめです。もちろん、これだけで理解できるはずはないけど。

現在あるフラワーエッセンス療法の教育機関の中では、転移/逆転移についてどの程度学んだり、訓練されたりしているんだろうか。今はどうかしらないが、FES(Flower Essence Society)のカリキュラムでも、以前はほとんど触れられてなかったように思う。転移/逆転移はプラクティショナーの倫理ともかかわってくるから、メタフローラのシステムよりこっちが先なんちゃうの?と思う。

セッションを通していつも思い知らされる。「転移/逆転移について知っていること」と、「転移/逆転移に取り組むこと」とは、まったく別次元のことだと。

このテーマは自分が一番学びたいテーマの一つなので、勉強会とかやりたいなあ。

ヤマブキ


 

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プラクティショナーの倫理

最近、インターネットのフラワーエッセンスに関する情報を見ていると、かなり暗い気持ちになることがある。

フラワーエッセンスを安易に恋愛と結びつけて、あからさまに閲覧者の関心を引こうとしたり、フラワーエッセンスを商業主義のハウツーの中に組み込んで、ビジネスの道具としか考えていないようなうたい文句を目にすると。

フラワーエッセンスを飲めば恋を引き寄せられる、みたいな扱い方や、誰でもプラクティショナーになって仕事ができるみたいな扱い方は、本当に勘弁してくれと思う。

もちろん、恋愛は人にとって重要なテーマであるし、恋愛経験が自分自身と深く向き合うきっかけとなることがある。

だらかこそ、そのテーマは大切に扱われるべきで、フラワーエッセンスをお手軽なおまじないのように扱うことじゃない。

フラワーエッセンスを服用して真摯に自分の男性性や女性性に向き合うとしたら、それは個別の深いプロセスになり、自分の傷にも向き合わざるを得ない場合もある。

そのことを考えれば、プラクティショナーの責任として自ずと安易なうたい文句は避けたくなると思うのだが、違うだろうか。

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誰でも善意や知識やノウハウがあればプラクティショナーになれるというのが間違いであることは、何年かすればわかると思うけど、そのとき、そのうたい文句を信じてプラクティショナーを目指した人はどうなるのだろうか。

人のこころに向き合って仕事をすることがどういうことかをわかり始めたとき、どうなるのだろうか。その人のクライアントはどうなるのだろうか。他人事としてではなく、私は自分自身の失敗からそのことをもっとも危惧する。

フラワーエッセンス(花)の恩恵を受ける私たちは、フラワーエッセンス(花)のために、何をすればいいだろうか。何をしてはいけないだろうか。

フラワーエッセンス(花)は私たちに何をしてほしいのだろうか。

フラワーエッセンス(花)は私たちに何をしてほしくないのだろうか。

フラワーエッセンスを世に送り出したバック医師の理念を思う。

フラワーエッセンスがすばらしいものになるかどうかは、フラワーエッセンスを扱う私たちの一つ一つの行動にかかっている。クライアントに向き合う前に、私たちプラクティショナーが自分自身に正直に向き合って行動にあらわしていくしかない。

ラブライズブリーディング

「エッセンスが花開くのは治療家の手のうちにおいてこそ」
~パラケルスス~



 

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The Wounded Healer/傷を負った癒し手

ネットを検索していて、おもしろい動画を見つけた!

少し前の記事で、自分の中にずっとあって、どう表現すればいいかと・・・、と言っていたこと。「傷を負った癒し手」のテーマは、School of Healing Arts and Sciences の卒論でも取り組んだテーマ。

The Wounded Healer

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「癒しと成長・・・プラクティショナーの役割」

フラワーエッセンスは自分のために選んで自分で使うことができるところがいい。一方で、個人セッションの形で行われるフラワーエッセンス療法がある。なぜプラクティショナーが必要なのだろうか。

プラクティショナーは「第三者」の視点をもって自分に向き合うために必要なのだろうか。普段自分がかかわる人や世界から距離のある人間の、客観的な「第三者」の目として必要なのだろうか。そのような目で的確に自分の長所や欠点を分析する助けとして存在するのだろうか。

プラクティショナーの役割には確かにそのような面もある。しかし、私たちが深いところで癒しや成長を経験できるかどうかは、プラクティショナーとフラワーエッセンス(自然)が「器」として機能してくれるかどうかにかかっていると思う。私たちの中に眠っている可能性が目覚めるための器として。あるいは、私たちの中にある可能性の光を映し出す「鏡」になってくれるかどうかだと思う。

前の記事で触れた自分自身に向き合うときの「客観性」のように、プラクティショナーの視点は単に問題や原因を分析するような視点ではない。私たちから距離をとって安全なところから、答えの花を指摘するような見方ではない。プラクティショナーは時にはともに暗い道を歩きながら、それでも私たちの可能性の光を見続けようとする目をもっている。客観的な判断や分析をまったく横において、私たちが自分自身の内面の花に触れるのを手助けする存在として。

私たちは「器」があってはじめて何かを育み、生み出すことができる。「鏡」があってはじめて自分の本当の姿を映し出すことができる。プラクティショナーはフラワーエッセンス(自然の花)と共に、これまでの鏡が写し返すことのできなかった私たちを映し返すためにいるのだと思う。

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ここに書いたことは私が目指すところです。これを口で言うのは簡単。書けるかどうかと、できるかどうかは、まったく別次元の話です(汗)。実行するには、自分自身の癒しと成長に向き合い続ける以外にない。プラクティショナーは自分自身のエネルギーの器を安定して広げられたところまでしかクライアントをホールドすることはできないし、自分自身の鏡を磨くことができたところまでしか、クライアントの光を映し返すことはできない。



 

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